脳のブラックボックス
JUGEMテーマ:幼児教育
これは、先日受けたアドラーの基本講座での出来事です。
「ある日突然、1本300円ぐらいの高価なバラの花を100本、
旦那様が貴女にプレゼントしたら、貴女はどのような行動をとりますか?」
との質問に、参加した20名くらいの女性は
「そんなこと、起こりえない・・・」というような表情をしていましたが、
現実とワークを混同して情動的に反応するのは、
ウチのカミサンだけではないんだと改めて思いました。
気を取り直して出てきた反応は、
「ワーイ、ワーイ、嬉しい・・・」という素直なものではなくて
「アンタ、それいくらしたの?」「えっ、なにかあったの?」「アンタ、隠し事してない?」
etcの、極めて人間的な例でした。
『1つの出来事があって、その出来事に対してどのように行動するか?』それは、人それぞれです。
この論考では『感覚入力と運動出力の隙間』という表現が出てきますが、
ジェーン・ハリーにならって『脳のブラックボックス』というアイデアに置きかえてみます。
この「脳のブラックボックスには何が入っているのか?」が知りたいと思います。
アドラーの起訴講座では、認知と信念が入っているということでしたが、
私は『言葉とアイデアと情動』が入っているのではないかと思います。
アイデアはイデアからのもので『考え』という意味です。
いずれにしても大切なことは、この『脳のブラックボックス』には情動が入っているということです。
今の教育では『脳のブラックボックス』ははじめは空っぽで、
外からの情報によって満たされるということが前提になっています。
いわゆる行動主義的機械論です。
ですから誰にでも同じ働きかけをしてテストをして採点します。
心配なのはこうした了解が、乳幼児の領域まで忍び込んできているという現実です。
「乳幼児期において『脳のブラックボックス』をどのように満たしていけばいいのか?」
今からの大切な課題のように思いました。
子どもにとって、周囲とは何か?
子どもにとって、コミュニケーションとは何か?
子どもにとって、思考力とは何か?
を見てきました。
それぞれが独立しているのではなく、子どもの人格の中で統合されている問題です。
5〜6歳児の「思考力とは何か?」について、「周囲とは何か?」と重複しているところは割愛しました。
これは、先日受けたアドラーの基本講座での出来事です。
「ある日突然、1本300円ぐらいの高価なバラの花を100本、
旦那様が貴女にプレゼントしたら、貴女はどのような行動をとりますか?」
との質問に、参加した20名くらいの女性は
「そんなこと、起こりえない・・・」というような表情をしていましたが、
現実とワークを混同して情動的に反応するのは、
ウチのカミサンだけではないんだと改めて思いました。
気を取り直して出てきた反応は、
「ワーイ、ワーイ、嬉しい・・・」という素直なものではなくて
「アンタ、それいくらしたの?」「えっ、なにかあったの?」「アンタ、隠し事してない?」
etcの、極めて人間的な例でした。
『1つの出来事があって、その出来事に対してどのように行動するか?』それは、人それぞれです。
この論考では『感覚入力と運動出力の隙間』という表現が出てきますが、
ジェーン・ハリーにならって『脳のブラックボックス』というアイデアに置きかえてみます。
この「脳のブラックボックスには何が入っているのか?」が知りたいと思います。
アドラーの起訴講座では、認知と信念が入っているということでしたが、
私は『言葉とアイデアと情動』が入っているのではないかと思います。
アイデアはイデアからのもので『考え』という意味です。
いずれにしても大切なことは、この『脳のブラックボックス』には情動が入っているということです。
今の教育では『脳のブラックボックス』ははじめは空っぽで、
外からの情報によって満たされるということが前提になっています。
いわゆる行動主義的機械論です。
ですから誰にでも同じ働きかけをしてテストをして採点します。
心配なのはこうした了解が、乳幼児の領域まで忍び込んできているという現実です。
「乳幼児期において『脳のブラックボックス』をどのように満たしていけばいいのか?」
今からの大切な課題のように思いました。
子どもにとって、周囲とは何か?
子どもにとって、コミュニケーションとは何か?
子どもにとって、思考力とは何か?
を見てきました。
それぞれが独立しているのではなく、子どもの人格の中で統合されている問題です。
5〜6歳児の「思考力とは何か?」について、「周囲とは何か?」と重複しているところは割愛しました。

